中国4大美女の1人、西施を題材にした李白の漢詩、「蘇台覽古」の漢詩朗読です。

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楊先生の漢詩朗読(その15 中国4大美女の1人、西施を題材にした李白の漢詩、「蘇台覽古」)

こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。

 

今日は美しい水の風景が広がる杭州の西湖の名前の由来となった中国4大美女の1人、西施を題材にした李白の漢詩、「蘇台覽古」を中国語で味わってみたいと思います。

 

楊先生の西施を題材にした李白の漢詩、「蘇台覽古」の朗読はこちらから。

 

 

 この漢詩は李白が呉王の夫差と西施とのロマンスがあった宮殿所縁の姑蘇台、現在の蘇州の姑蘇山山頂に立ち、思いを馳せて作られたものです。

 

 

「蘇台覽古」 李白

 

旧苑荒台楊柳新

 

菱歌清唱不勝春

 

只今惟有西江月

 

曾照呉王宮裏人

 

(解説)

 

「蘇台覽古」 李白

 

舊苑荒台楊柳新

 

(白文読み)旧苑 荒台 楊柳 新たなり

 

(現代語訳)古びた庭園と荒れた高台。柳だけは毎年新しくなる。

 

菱歌清唱不勝春

 

(白文読み)菱歌 清唱 春に勝えず

 

(現代語訳)菱の実を取る乙女たちの澄んだ歌声が響いている。それを聞いていると、春の感傷がこみ上げてくる。

 

只今惟有西江月

 

(白文読み)只今 惟だ西江の月のみあって

 

(現代語訳)今は西江の上に上がる月だけが往時をしのばせる。

 

曾照呉王宮裏人

 

(白文読み)曾(かつ)て照らす呉王宮裏の人

 

(現代語訳)かつてあの同じ月が、呉王夫差の宮殿の絶世の美女・西施を照らしていたのだ。

 

越の国に西施という薪売りの娘がいました。仙女のような美しさで、その美しさを見物するためにお金を払った人もいたという逸話も残っています。

 

 

彼女が暮らした村に施という苗字の家が2軒あり、彼女は村の西に住む施であったため、西施と呼ばれるようになりました。一方で村の東に住む娘がおり、この娘は東施と呼ばれ、西施とは真逆の容貌の持ち主だったそうです。

 

西施は胸を病んでいたため、時折眉をしかめるのですが、その様子も美しかったそうです。そこで東施が西施の真似をして眉をしかめると、もともと醜い顔が更に醜くなりました。これより「顰に倣う(ひそみにならう)」という故事ができました。この意味は人真似して物笑いの種になるという意味です。

 

 

また西施は「沈魚美人」と呼ばれます。これは西施が川で洗濯をしていると魚たちが、西施の脚に見とれて、泳ぐことを忘れて沈んでしまったという逸話からです。

 

西施の生きた春秋時代、この呉と越は敵対関係にありました。皆様もご存知の方が多いですが、「呉越同舟」という故事成語でも有名です。

 

西施の噂を聞いた越の国の軍師・范蠡は西施の美しさに目をつけました。西施を越王の後宮に召し、礼儀作法や歌や踊り、読み書きの訓練を受けさせ、敵国・呉の国王・夫差のもとに送ります。夫差は西施の美しさに夢中になり、国政を疎かにし、越の攻撃に耐えることができずに敗北、亡くなります。

 

 

 

呉の滅亡後、西施は越に戻りますが、いろいろな伝説があります。一つは長江に沈められたというもの、またもともと魅かれ合っていた范蠡とともに越から逃げて2人幸せに暮らしたというものです。他には西湖で入水自殺したなどいろいろな伝説があります。

 

「ハニートラップ」として利用された西施。他の中国4大美女と同様に美女であるが故に、そして悲劇的な運命を辿ってますね。時代に翻弄され、政治の道具となるも、自身の運命として受け入れざるを得なかったんでしょうね。

 


(中国四大美人。
・「沈魚美人」春秋時代の西施
・「落雁美人」前漢の王昭君
・「閉月美人」後漢の貂蝉
・「羞花美人」唐の楊貴妃
ただし、貂蝉は実在の人物ではありません。楚の虞美人が入ることがあります。)

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