北方民族との戦いが繰り広げられた仏教遺産の町、大同(その5.ガンダーラ仏の影響を色濃く受けている雲崗石窟)

(慈悲深い面持ちの露天大仏。雲岡石窟のシンボルです。)
こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今週も先週に引続き大同の特集で中国の三大石窟として有名な雲崗石窟です。石窟だけでなく、その石窟群の上側には万里の長城があり、雲崗石窟と並べたそのスケールの大きさに圧倒されます。
*今回かなりの写真を撮り、170枚近くアップしました。これでも精査して半分くらい減らしたつもりですが、これ以上減らすと、この石窟の凄さが伝わらないので敢えて減らしてません。
雲崗石窟は北魏の時代の5世紀から6世紀初頭に建設された石窟寺院であり、252の洞窟が東西約1qにわたって続いて、内部には51,000体以上の仏像が刻まれています。ここにある仏像は、はっきりと鼻筋の通った面長の顔をしているものが多く、パキスタン北部のガンダーラ地方を起源に持つガンダーラ仏の影響を色濃く受けています。古い時代の遺跡にも関わらず、主要な石仏はきれいな状態で残されています。その原因はいきなり岩肌に石仏を彫らず、まずは中をくりぬく様に空間を作るスタイルであったため、中に彫られた石仏は風雨に直接さらされず、美しい状態で今にその姿を残しています。
驚かされたのが、石窟の中の天井の高さとこの空間の広さであり、さらに驚かされるのが大仏の周辺の壁、天井まで彫られている仏像の緻密さと数。無数の仏像に囲まれて大仏がいる状態です。太古の人が費やした相当の労力と情熱が注がれていることが伝わってきて感無量でした。

雲岡石窟正面。北魏の文成帝の命により5つの石窟を造ったのが始まり。60年の歳月を要して16km、5万以上の仏像がある。

全体。北魏の文成帝の命により5つの石窟を造ったのが始まり。

万里の長城が見える。

舞台


魔よけの獅子。






第1屈。





第2屈。







馬車道跡。

車輪の跡が残っています。

下の池。凍ってます。

第3屈。












第3.4.5屈。

第4屈。

















第5屈。









第6屈。













第7屈




第8屈








第9屈。






第10屈。








第11屈。





第12屈。







第13屈。









第14屈




第15屈。


第16屈。




第17屈。






第18屈

第19屈







第20屈。












全景。60年の歳月を要して16km、5万以上の仏像がある。









