康熙帝を補佐した名相である陳廷敬の官邸が皇城相府(何さん特別編)

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康熙帝を補佐した名相である陳廷敬の官邸が皇城相府(何さん特別編)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のミステリーハンターこと、アシスタントの何です。

 

今日は私の故郷の山西省晋城市にある、皇城相府について紹介させていただきます。

 

 中国の歴代皇帝の中で最も名君であると名高い、清朝の第4代皇帝の康熙帝の教師であり、康熙帝を半世紀もの長い間補佐した名相である陳廷敬の官邸が皇城相府です。

 

 

 

 皇帝が住む宮殿でもないのに「皇城相府」と名付けられたのは、ここを康熙帝が2回も訪れたことによるものです。皇城相府は明代末期の崇禎5(1632)年に陳昌言によって、内城の建設が始まりました。外城が完成したのは、清代の康煕42(1703)年、70年以上かけて作られました。外敵から守るための城壁まで巡らした巨大住居群で、豪邸というより城壁に囲まれた一つの村です。

 

 

 

 康熙帝の教師となった陳延敬は一生の中で28回も昇進したと言われるほど、康煕帝からの信頼が厚い人物でした。陳一族は数多くの官僚を排出しましたが、科挙の試験で9名もの最高位の合格者と地方試験の合格者41名を出した名家です。大きな邸宅ですが、まるで要塞のようです。

 

 

 

 

 皇城相府でひときわ目立つのは高さ30数メートルもある、四角い塔の「河山楼」です。さらに河山楼の奥にある、アーチ形の入り口の部屋が横に並んでいるところが「藏兵洞」です。兵士が隠れていた場所というより兵士の待機場所です。藏兵洞の中は豪華な木彫や柱の台座の装飾も非常に美しいです。

 

 

 

 科挙合格者を何人も送りだした名家の財力に圧倒されます。ぜひお越しください。

 

 

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