中国の顔ともいえる、首都北京の旅行記(その7. 西太后が贅の限りを尽くした避暑地『頤和園』)
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今週は北京旅行記の第7回目として 西太后が贅の限りを尽くした避暑地として再建した『頤和園』について紹介させていただきます。
頤和園はかつて清?園として清の歴代皇帝の宮殿および庭園として使われていました。乾隆帝が母親崇慶皇太后の還暦を祝い、大宮殿として昆明湖と万寿山を中心に造営され、江南庭園の様式に基づいて設計されました。万寿山も昆明湖もすべて人工のものであるのは驚きです。山水楼閣が織りなす美観を満喫でき、大型皇室庭園として、世界遺産に登録されています。
(昆明湖と万寿山上にある仏香閣。乾隆帝が母の健康と長寿を祝って建てた8角3層の塔。20mの基壇の上に36.5mの塔は実際に観ると壮大さに圧倒される。西太后が再建した際に内部に「千手音菩薩堂」を安置した。)
(昆明池。頤和園の総面積は293ヘクタールのうち、湖と池で全体の4分の3を占めており、人工とは思えない大きさの湖。元々は杭州の西湖をモデルに作ったとされています。眺めていても全体の大きさがわからないくらいの大きさです。)
1860年に英仏連合により破壊され、荒廃したものを西太后が贅の限りを尽くした避暑地として再建したものです。西太后は昆明湖に浮かぶ、全長36メートルの大理石の清晏舫を建設しました。内部は木造でステンドグラスの美しい西洋式建築で、頤和園の中で唯一の様式の建造物です。これらを再建するために、西太后は1888年に海軍の造艦資金を流用するなど膨大な費用をかけて再建しました。これが財政悪化を招き、日清戦争に負けた要因の一つといわれています。
(大理石でできた公園のシンボル、清晏舫。英仏連合軍侵略の際、上部の建物が破壊され、それを西太后が西洋風建築で再建し、「河清海晏」にちなんで清晏舫と名付けたとのことです。比喩として、天下太平を意味し、絶対に覆らない石の船を作り、清朝の政権も覆らないという意味を込めているようです。)
(頤和園で冬を過ごす西太后。)
(蒼穹の昴。日本でもNHKで放送されましたね。)
(頤和園で冬を過ごす西太后。)
風水術的に言うと、北京中央からみて、天の方位、主人の方位にあります。西太后が好んで滞在した場所と言われています。
(西太后の若いころを再現??。結構美人です。)
西太后の愛した頤和園。昆明湖では、昔の皇族たちになったような気分に浸りながらの舟遊びも楽しめます。ぜひ、体験してみてはいかがでしょうか。
(頤和園で外国人客と謁見する西太后。)
(頤和園で過ごす西太后。)
(東宮門。)
(東宮門の魔よけの獅子。)
(東宮門。光緒帝直筆の頤和園の文字がある。)
(東宮門。光緒帝直筆の頤和園の文字がある。)
(雲龍石もしっかりあります。)
(中庭。)
(全体図です。頤和園はかつての清朝の離宮で、西太后の離宮としても有名な場所です。現存する中では頤和園は中国最大規模の皇室庭園と言われています。英語名はサマーパレス Summer Palaceです。)
(仁寿門。)
(仁寿門から見える太湖石。)
(仁寿門前の太湖石。)
(仁寿門前の太湖石。)
(仁寿門前の樹齢300年の木。)
(仁寿殿の麒麟像。)
(仁寿殿の麒麟像。)
(仁寿殿の麒麟像。)
(仁寿殿。)
(仁寿殿の西太后の玉座。)
(仁寿殿の西太后の玉座。)
(仁寿殿の西太后の玉座。)
(仁寿殿の不死鳥と龍。皇帝が来るところで龍より上の動物があるのは珍しい。西太后の権力を現す。)
(仁寿殿の龍。)
(仁寿殿の不死鳥と龍。皇帝が来るところで龍より上の動物があるのは珍しい。西太后の権力を現す。)
(仁寿殿の牡丹畑。冬で枯れていました。)
(昆明湖。)
(昆明湖の知春亭。)
(昆明湖の知春亭。)
(昆明湖と万寿山上にある仏香閣。万寿山も昆明湖もすべて人工のものです。)
(昆明湖と万寿山上にある仏香閣。万寿山の中心部に建設された楼閣で高さは41mの八角形の木造建築物です。)
(昆明湖と万寿山上にある仏香閣。)
(楽寿堂。昆明湖の船着き場が近くにあり、かの西太后もここから船に乗ったといわれています。)
(楽寿堂前の太鼓の飾り物。)
(楽寿堂前の太湖石。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。)
(ガラスの向こうは石で塞がれている。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。西洋式の時計。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」の壺。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」の玉座。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」の壁画。)
(廊下。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」。)
(西太后が光緒帝を軟禁していた場所と言われている「玉瀾堂」の壁画。)
(玉座の部屋の裏側。西太后が光緒帝を閉じ込めるために石でブロックした。)
(楽寿殿の太湖石。)
(楽寿殿の太湖石。青芝岫。俗称「敗家石」 中国最大の庭園石だそうです。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園の門。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園の寝室。)
(西太后の宝の器。)
(西太后の休憩室。)
(西太后の休憩室。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園の玉座。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が愛用した魚の水槽の机。)
(西太后の寝室。)
(徳和園の壁。)
(徳和園の壁。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。龍の手のような樹木。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(徳和園の壁。)
(西太后が過ごした徳和園。)
(徳和園)
(徳和園)
(徳和園の太湖石。)
(「乾隆帝の散歩道」として知られる長廊は、清国を中国史上最大の国家にした乾隆帝の政治理念を見て取ることができる場所でもあります。乾隆帝は当時の中国の人口の1%にも満たない満州族出身。少数民族出身の乾隆帝が、大半を占める漢民族やその他の民族をいかにして統治したのか、その秘密の一端がここ長廊に隠されているのです。長廊の梁に描かれた絵の多くは、2000年に渡る漢民族の歴史や文化を描いたもの。三国志や西遊記等、私たちの良く知る物語がテーマとなった絵もあります。自分たち満州族の文化で統一するのではなく、漢民族の文化を取り入れて統治した乾隆帝の賢明さが、この長い回廊には表れています。)
(長廊の説明。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。万寿山の南端から昆明湖に沿うように長廊が長く続きます。なんと全長728mとのことです。1992年には世界一長い長廊としてギネス認定されています。)
(長廊庭園。)
(長廊庭園。)
(長廊の壁画。長廊の梁の上には絵も描かれています。絵には歴史、文学、神話の内容などが書かれています。)
(昆明池。頤和園の総面積は293ヘクタールのうち、湖と池で全体の4分の3を占めており、人工とは思えない大きさの湖。元々は杭州の西湖をモデルに作ったとされています。眺めていても全体の大きさがわからないくらいの大きさです。)
(長廊の壁画。)
(昆明池。)
(長廊から見た昆明湖。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(長廊から見た昆明湖。)
(長廊から見た昆明湖。)
(昆明池を臨みます。十七孔橋と南湖島。)
(長廊から見た昆明湖。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(仏香閣。)
(排雲殿。)
(昆明湖と万寿山上にある仏香閣。万寿山の中心部に建設された楼閣で高さは41mの八角形の木造建築物です。)
(.排雲殿。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。万寿山の南端から昆明湖に沿うように長廊が長く続きます。なんと全長728mとのことです。1992年には世界一長い長廊としてギネス認定されています。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。万寿山の南端から昆明湖に沿うように長廊が長く続きます。なんと全長728mとのことです。1992年には世界一長い長廊としてギネス認定されています。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。万寿山の南端から昆明湖に沿うように長廊が長く続きます。なんと全長728mとのことです。1992年には世界一長い長廊としてギネス認定されています。)
(排雲殿と仏香殿。)
(排雲門。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。長廊の壁画。長廊の梁の上には絵も描かれています。絵には歴史、文学、神話の内容などが書かれています。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。万寿山の南端から昆明湖に沿うように長廊が長く続きます。なんと全長728mとのことです。1992年には世界一長い長廊としてギネス認定されています。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。万寿山の南端から昆明湖に沿うように長廊が長く続きます。なんと全長728mとのことです。1992年には世界一長い長廊としてギネス認定されています。)
(長廊。750mにもなる極彩画が多く書かれた廊下。)
(銅亭。)
(長廊装飾。)
(長廊装飾。)
(大理石でできた公園のシンボル、清晏舫。)
(清晏舫横の建物。)
(清晏舫横の建物。)
(清晏舫横の建物。)
(大理石でできた公園のシンボル、清晏舫。)
(大理石でできた公園のシンボル、清晏舫。絶対に沈まないとの乾隆帝の願いがこめられている。)
(大理石でできた公園のシンボル、清晏舫。英仏連合軍侵略の際、上部の建物が破壊され、それを西太后が西洋風建築で再建し、「河清海晏」にちなんで清晏舫と名付けたとのことです。比喩として、天下太平を意味し、絶対に覆らない石の船を作り、清朝の政権も覆らないという意味を込めているようです。)
(大理石でできた公園のシンボル、清晏舫。絶対に沈まないとの乾隆帝の願いがこめられている。)
(夏には龍の船で舟遊びする人が多い。)
(船倉庫。)
(西宮門。)
(アーチ形の中国型式の石橋。)
(アーチ形の中国型式の石橋。)