過去からの近代の歴史を見続けてきた煙台山(蔡さん特別編)
皆様、こんにちは!スマイル中国教室のノッポさんこと、アシスタントの蔡です。
今日は私の故郷の山東省にある、煙台山について紹介させていただきます。
煙台山はかつて明の時代に倭寇の来攻を伝えるための狼煙を上げた山であったことから名付けられた山です。
第一次世界大戦前は各国の領事館が置かれ、共同租界地となっていました。昔の各国の大使館・領事館址の洋館風建物がいくつも残っており、旧日本領事館もボロボロですが、残っています。公園の外にも、かつて日本人が住んでいた家屋が残っている一帯もあります。
(イギリス領事館。)
(アメリカ領事館。)
(ロシア領事館。)
(日本領事館。)
山という名前がついていますが、どちらかというと丘といった感じの場所です。頂上には塔があり、煙台の町が一望できます。
清朝はアヘン戦争の敗北後、近代的な海軍と陸軍を組織しました。中心であった李鴻章はイギリスとフランスに負けたことから武高性能だったこともあり、ドイツから近代武器をどんどん輸入する様になりました。この煙台山にあるドイツ製のクルップ大砲の他、他にもフルカン社の軍艦、モーゼル「毛瑟」ライフルなどの武器をどんどん発注していきました。ドイツは友好的国家となり、北洋艦隊外国顧問は7人、顧問が3人などドイツの人材も起用されたのです。
過去からの近代の歴史を見続けてきた煙台山でした。