楊先生の漢詩朗読(その56. 南方に逃れて南宋を建てた皇帝の不甲斐無さを諷刺しているといわれる李清照の漢詩「夏日絶句」)
こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。
今日は李清照が詠んだ漢詩「夏日絶句」を中国語で味わってみたいと思います。
(白文)
生當作人傑,
死亦爲鬼雄。
至今思項羽,
不肯過江東。
(書き下し文)
生きて、当に、人傑と作り、
死して、亦、鬼雄と為るべし。
至今、思ふ、
項羽の江東 過たるを肯せんせざるを。
(現代語訳)
人間は生きて、人傑になるべきである。
いつか死ぬ時になっては、鬼中の英雄となるべきである。
今になって、私は昔の項羽のことを懐かしく思う。
彼は、死んでも江東へは戻らないという気迫があった。
(解説)
項羽は秦の暴政に立ちあがり、その超人的な戦闘力により「力は山を抜き、気は世を蓋ふ」と自らうたっているように多くの戦いで勝利し続けました。しかし「四面楚歌」の故事に見るように最後は垓下で劉邦に敗れました。その際、烏江の川べりに追い詰められた項羽は船で逃げようと思えば逃げられたが、ここで逃げては決起した時に江南から連れてきた8000人の若者の父母に会わせる顔がないと自刎してしまう。この詩の、死してなお英雄となった、とはこの行為を指しています。
この詩では同時に李清照の生きた宋の時代、異民族の金に侵略され、南方に逃れて南宋を建てた皇帝の不甲斐無さを諷刺しているといわれています。項羽の物語を借用して、南宋の皇帝と南宋官僚たちの腐敗を批判した詩と言われる所以です。
南宋は、金から逃れ南国の美しい杭州を臨時の首都としました。北方の敵であった金に対しては、金銭、財物を貢いで和平を手に入れようとする企みばかりで、本当の抗金の英雄は逆に虐殺されたという理不尽な事件もありました。こうした現政府に対する作者の憤慨が、詩には強く表されているのです。