楊先生の漢詩朗読(その13 陶淵明の飲酒詩二十首之五の「采菊東籬下 悠然見南山」)
こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。
今日は晋の詩人、陶淵明の飲酒詩二十首之五の「采菊東籬下 悠然見南山」です。この漢詩は昨日紹介させていただいた、蘇州の拙政園の中にある見山楼の名前の由来となったものです。
楊先生の陶淵明の飲酒詩二十首之五の「采菊東籬下 悠然見南山」の朗読はこちらから。
(見山楼は拙政園の中園の北の方にあり、三方を池に囲まれていて、中園の至る所から見ることができます。逆に、見山楼も拙政園の各場所を見渡せます。かつては見山楼の二階から蘇州の街が見渡せたとも言われています。)
(見山楼前の蓮の花。)
見山楼は拙政園の中園の北の方にあり、三方を池に囲まれていて、中園の至る所から見ることができます。逆に、見山楼も拙政園の各場所を見渡せます。かつては見山楼の二階から蘇州の街が見渡せたとも言われています。
(五曲橋越しに見山楼を見たところ。右の木の裏に荷風四面亭も見える。池にせり出しているのは黄石の岬。まさに自然な山水の景を楽しむ庭園が拙政園。)
陶淵明の飲酒詩は、道を外れた政府の役人や権力がはびこっているのに飽き飽きし、田舎に帰っていった時にのんびりと詠んだものです。 誰にも邪魔されず、ゆったりと廬山の自然を観賞する。つまりゆったりと拙政園の自然を観賞できる。陶淵明の飲酒詩に通じる気持ちから見山楼と名付けたようです。
(見山楼と柳の木。)
「采菊東籬下 悠然見南山」 陶淵明
結廬在人境
而無車馬喧
問君何能爾
心遠地自偏
採菊東籬下
悠然見南山
山氣日夕佳
飛鳥相與還
此中有眞意
欲辨已忘言
(解説)
「采菊東籬下 悠然見南山」 陶淵明
結廬在人境
(白文読み)盧(いおり)を結んで人境に在り
(現代語訳)いおりを構えているのは、人里の中。
而無車馬喧
(白文読み)而(しかも)車馬の喧(かまびす)しき無し
(現代語訳)しかもうるさい役人どもの車馬の音はきこえて来ない。
問君何能爾
(白文読み)君に問う 何ぞ能く爾(しか)るやと
(現代語訳)よくそんなことがありうるものだね、と人がいう。
心遠地自偏
(白文読み)心 遠ければ 地 自(おのず)から偏たり
(現代語訳)こせこせした気持ちでいないから、土地も自然とへんぴになるのさ。
採菊東籬下
(白文読み)菊を東籬(東の垣根)の下に採り
(現代語訳)東の垣根に菊を折り取っていると、
悠然見南山
(白文読み)悠然として 南山を見る
(現代語訳)ふと目に入ったのは南の山、廬山の悠揚せまらぬ姿、それをわたしはゆったりと眺めている。
山氣日夕佳
(白文読み)山気 日夕(にっせき)佳なり
(現代語訳)山のたたずまいは夕暮の空気の中にこの上なく素晴らしく、
飛鳥相與還
(白文読み)飛ぶ鳥 相與(ともに)に 還る
(現代語訳)鳥たちがうちつれてあの山の塒(ねぐら)へと帰ってゆく。
此中有眞意
(白文読み)此の中に 真意有り
(現代語訳)ここにこそ、何ものにもまとわれない人間の真実、
欲辨已忘言
(白文読み)弁ぜんと欲して 已に言を忘る
(現代語訳)それをねがうものの姿が、私にはよみとれる。が、それを言いあらわそうとしたその時には、もう言葉を忘れてしまっていた。
見山楼を作った王献臣の心と合い通じるものがあり、「見山楼」と名づけた理由がよく分かりますね。
(香洲。正しくは、一階を香洲と呼び、二階部分を澂観楼と呼ぶが、建物全体を呼ぶ際にも香洲とするのが一般的。香洲は、画舫(がぼう=屋形船)をイメージした建物で舟のように見える。三面を水に囲まれ、後ろ側だけ陸続きとする建物にして、船のように見せている。)
(小飛虹という美しい橋や得真堂、松風水閣といった建物が軒を連ね、また、狭い空間から見える池が大海原を想像させることから、あたかも港の集落のような感じを受ける。香洲が舟を模っているのでその仮想船着場近くの港町といった感じ。)
(扇亭。扇の形をモチーフにした建物で、建物も扇型で、空窓も扇型。)