中国の顔ともいえる、首都北京の旅行記(その2.明清24代の皇帝が生活し、政務を行なった「紫禁城」(Vol.1))
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
先週に引き続き、北京の旅行記(2回目)です。今週は中国を代表する世界遺産「故宮」、かつての「紫禁城」です。今週から数回に分けて連載します。ラストエンペラーで出てきたシーンを中心にお話していきたいと思います。
紫禁城は、明朝が1421年に南京から北京へと遷都し、20世紀の清朝滅亡まで明清24代の皇帝が生活し、政務を行なった場所でした。中国の古代天文学では、北極星とそれをとり巻く星群は天の中心、天帝の住む所は「紫微垣」と呼ばれ、これにちなんで名づけられたようです。
ますば 紫禁城の南門から入ります。 南=「午(うま)」の方角にあることから、午門(ごもん)と呼ばれていました。「コの字型」にせり出した形が特徴で官吏たちが早朝に集まり、皇帝に拝謁した場所です。 映画「ラスト・エンペラー」では溥儀が城外に出ようと「Open the door !」と門扉を叩くシーンとなったところです。また映画の冒頭で亡くなる前の西太后からの命令で、幼い溥儀(ふぎ)が紫禁城に呼ばれ、薄暗い明け方に乳母と一緒にお輿に乗ってこの午門を入っていくシーンでも出てきました。
(紫禁城午門。映画「ラスト・エンペラー」で溥儀が最後に出た門ですね。)
(紫禁城午門の右側。午門はかつての刑場としても使用され、鞭打ちの刑が行われていました。映画「ラスト・エンペラー」では宦官(去勢した男の役人)たちの横領を疑った皇帝の溥儀が、改革のために財の管理を調査する!と宣言した途端に宝物殿に火を付けられ、隠蔽工作に怒った溥儀は宦官全員を城から追放する!という場面で、男根を持って紫禁城から追い出される宦官たちを、皇后らと一緒に眺めていたシーンを撮影したロケ地です。)
(紫禁城午門左側。溥儀が最後に出た門。)
(紫禁城午門のアップ。)
(映画「ラストエンペラ」では紫禁城午門前に出店が出ていましたね。)
(映画「ラストエンペラ」では母親が亡くなったことを知らされ、悲しみを抱えながら、ひとり、自転車で午門に向かう溥儀でしたが、たまたま門が開いていて外に出ようとしますが、門番たちに扉を閉められて阻止され、怒った溥儀がペットのネズミを扉に叩きつけるシーンのロケ地です。)
(紫禁城午門の扉。溥儀が城から出た3つある午門の出入口の内の真ん中(皇帝専用の出入口))
南門を抜け、大和門を抜けるとそこには広大すぎる広場があります。この広場に無数の役人が集まり、太和殿にいる皇帝からの命令を受けていました。 この広場は、ラスト・エンペラーで溥儀が即位する儀式のシーンで、無数の官吏がずらりと並んでいた場所ですね。
(大和門。明時代の皇帝の朝拝は大和門で行われました。)
(大和門前の協和門。)
(大和門の真ん中の橋を皇帝が通りました。)
(太和門までの道のりも長い!壮大なスケールです。)
(大和門前の康煕門。)
(橋の間の金水川。)
(大和門。)
(大和門の魔よけの獅子。)
(大和門の魔よけの獅子。)
(大和門の皇帝が通る階段。龍の彫刻。)
(大和門の皇帝の階段。)
(大和門の上り階段にも細かい彫刻があります。)
(大和門の天井。)
(大和門より見た午門裏側。真ん中が皇帝専用の通路です。)
(ようやく太和殿が見えてきました!広い!遠い!太和殿前の広場は、映画「ラスト・エンペラー」でも登場し、溥儀が清朝12代皇帝・宣統帝に即位する儀式のシーンで、無数の官吏がずらりと並んでいた場所です。)
(大和門横の防火用水。)
(大和殿前の石畳。東半分は、明時代に作られたものがそのまま残っているそうですが、敵が穴を掘って侵入してくることを恐れて、5m下まで石が敷き詰められているそうです。)
(延々と広がる石畳。この広場は、3歳にも満たない幼い溥儀が、皇帝に即位をしたシーンが撮影された場所ですね。他にも、少年の溥儀が、城から追い出される乳母のお輿を追いかけたシーンもここだと思います。)
(大和殿の仏教閣。)
(大和門裏側。)
(大和殿前の石畳。即位の式典や元旦の祝いなどが行われました。敵が穴を掘ってくるのを防ぐために5mも掘ってから石畳を敷いています。故宮の裏手にある景山公園は、紫禁城を建設した時の土を積み上げてできた山なのだそうです。)
(大和殿横の体仁閣。)
(大和殿。中国最大の木造建築物。)
(大和殿の階段。龍の彫刻。)
(大和殿階段。)
(大和殿側面。)
(大和殿より見た大和門。映画「ラストエンペラ」では幼い溥儀が、即位式で家来たちが三跪九叩頭の拝礼をする様子を眺めていた場所です。)
(大和殿の灯篭。)
(大和殿。紫禁城の中心となる建物で、皇帝の即位や婚礼、祭典、式典などは、すべてここで執り行われていました。)
(大和殿アップ。)
(大和殿の王座。即位の式典や元旦の祝いなどで使用された。映画「ラストエンペラ」では即位のシーンで、幼い皇帝 溥儀がちょこんと座ったり、立ったりしていました。)
(映画「ラストエンペラ」のラストシーンの中に、平民となった溥儀が故宮に観光に訪れ、そこで出会った男の子に宝座の後ろに隠してあったコウロギを見せるという場面がありましたね。玉座の上には大きな玉が吊るされており、皇帝以外や皇帝に適さない人物が座ると落下し、頭をかち割るという言い伝えがあります。辛亥革命後の1916年に「皇帝」を自称した袁世凱は、この言い伝えを恐れてわざと玉座をずらして座っていたようです。)
(大和殿の王座の天井。映画「ラストエンペラ」では、西太后が亡くなる直前に、天井に吊ってある黒真珠の下までベッドを移動するシーンがありました。)
(大和殿の王座の床。龍が描かれています。)
(大和殿の階段の模様。)
(大和殿の亀。亀は長寿の象徴です。)
(大和殿の亀の後ろ姿。)
(大和殿の鶴。鶴も長寿の象徴です。)
(大和殿の龍。龍は天と地を自由に行来できる万能の動物と考えられており、皇帝を表す動物です。)
(大和殿の防火用水。青銅の上に金が塗られていたが、諸外国によって剥がされました。)
(大和殿の防火用水の下。冬は凍るので下の穴より火を入れて温めました。)
(大和殿より見た大和門。)
(大和殿より見た歴史芸術館。)
(太和殿の走獣。右から騎鳳仙人、麒麟、鳳凰、獅子、海馬、天馬、押魚、サン猊、カイ豸、斗牛、行什、旁吻。中国の明清時代の建物(宮殿や寺院)の屋根には「走獣」という魔除けの飾りがついています。先頭は「騎鳳仙人(鳳凰に跨った仙人)」で、その後に龍や麒麟など想像上の動物が続きます。そして最後は火よけの意味をなす「旁吻(口を開けた魚)」という構造です。仙人と旁吻の間の動物の数は建物の格式が高くなるほど増えていきます。そして、中国で一番数が多いのが紫禁城・太和殿の10匹(仙人、旁吻を含まず)です。)
(太和殿、中和殿、保和殿は、白大理石の三重の基台の上に建てられていますが、中和殿の両サイド(西側と東側)には、基台から降りる階段があります。東側(中和殿に向かって右側)にある階段を下りたところが、テニスコートがあった場所のようです。映画「ラストエンペラ」では、家庭教師や皇后たちとテニスを楽しんでいたところに、突然、大勢の軍人がやってきて、「1時間以内に紫禁城から出て行くように!」と言い渡されるシーンのロケ地です。)
今週はここまで。この続きはまた来週ということで大和殿以降を紹介させていただきます。