中央アジアと中国との交流、民族移動の歴史を見続けてきた民族、撒拉族(サラール族)(金さん特別編)
皆様、こんにちは!スマイル中国教室のキムチ大好きこと、アシスタントの金です。
今日は青海省の循化撒拉族自治県を中心に生活している撒拉族(以下、サラール族)について紹介いたします。
サラール族は、中央アジアのウズベキスタン・サマルカンド等の中央アジアから移住してきたオグズ族が、チベット族や満族、回族と混交して生まれた民族です。元代に新疆を経て青海省循化地区に定住するようになりました。人口約10万人いると言われ、スンニー派のイスラム教を信仰しています。
サラール族の住む地域は、歴史的に回族、チベット族、漢族などと雑居状態にあり、彼らと密接な社会・経済的関係を結んできました。まさに西方の中央アジアと中国との交流、そして民族移動の歴史を見続けてきた民族なのです。
「駱駝泉」には、こんな伝説も残されている。
「その昔、サマルカンドの小さな部落に、酋長を務める兄弟がいた。2人は部落民の信望が厚く、現地の支配者に恨まれ、迫害された。そこで2人は18人の一族郎党を連れ、1頭の白いラクダに水と土を積み、新たな楽園を求めて旅立った。天山や嘉峪関、黄河を超え、循化に辿り着いた後、彼らは山に上ったが、辺りが暗くなったためラクダとはぐれてしまった。翌朝彼らが探し回ると、ラクダは街の外れの泉の中に横たわり、すでに白い石になっていたという。持参した水土が現地のものと類似していたため、彼らはこの地に定住することを決めた。困難な旅を共にし、泉の中で石となったラクダはいつも一族を見守り、泉はいつしか駱駝泉≠ニ呼ばれるようになった」
「籬笆楼」と呼ばれるサラール族の住居は、扉や柱に描かれた、精巧な民族的図案が特徴的で防火・防音・湿気の取られています。また小麦、蕎麦、ジャガイモ、大豆、唐辛子などを栽培する農業に従事しています。
服装は、男性はあごひげを蓄え、円形の帽子をかぶり、白いシャツに青いベスト、女性は頭にスカーフ、金銀のイヤリングやブレスレットなどのアクセサリーをつけています。
「駱駝泉」には、こんな伝説も残されている。
「その昔、サマルカンドの小さな部落に、酋長を務める兄弟がいた。2人は部落民の信望が厚く、現地の支配者に恨まれ、迫害された。そこで2人は18人の一族郎党を連れ、1頭の白いラクダに水と土を積み、新たな楽園を求めて旅立った。天山や嘉峪関、黄河を超え、循化に辿り着いた後、彼らは山に上ったが、辺りが暗くなったためラクダとはぐれてしまった。翌朝彼らが探し回ると、ラクダは街の外れの泉の中に横たわり、すでに白い石になっていたという。持参した水土が現地のものと類似していたため、彼らはこの地に定住することを決めた。困難な旅を共にし、泉の中で石となったラクダはいつも一族を見守り、泉はいつしか駱駝泉≠ニ呼ばれるようになった」。
最も大きな祭りは、3月の断食月が明ける日の「開斎節」で、この日の前夜、人々は部屋や庭を掃除し、髪を整え、風呂で身体を念入りに洗います。
西方の中央アジアと中国との交流と民族移動の歴史を見続けてきた民族をお伝えしました。