2000年ほど前は錫(スズ)の産地だったが、今は錫がない無錫(その4..西施を見出した范レイにちなんで作られたレイ園)
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今週も先週に引き続き、江蘇省の無錫の旅行記をお伝えいたします。第4回目は西施を見出した范レイにちなんで作られたレイ園です。
(入口。紀元前6世紀に越の氾レイが中国4大美女の一人、西施と晩年をすごしたといわれ、レイ湖とも呼ばれる。)
レイ園は無錫に現存する代表的な中国庭園の一つです。太湖から無錫に伸びる内湖である五里湖(レイ湖)を望む庭園です。王禹卿親子が1927年に造り、全長289メートルにも及ぶ千歩長廊から東レイ湖を眺めることができます。太湖石がふんだんに。太湖石は太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石。浸食による奇形の石灰岩で、観賞や瞑想などのために中国の庭園でよく置かれています。
(入口。)
(入口説明文。)
(全体図)
(越の氾レイが残した書物。)
(入口紀元前6世紀に越の氾レイが晩年過ごした場所にあやかって造られたといわれる。)
レイ園の名前の由来は中国春秋時代に越王勾践に仕え、越国を強国に押し上げた“范レイ”にあやかったものです。
(入口からすぐに中身が見えないように岩の壁が続く(中は後からのお楽しみ))
越王に撃退された呉王の夫差は臥薪(薪の上に寝る)して自らを律し、復讐を果たしましたが、やがて苦い肝を嘗めて苦汁を晴らそうとした越王に逆襲されることになりました。故事“臥薪嘗胆”は日本でも知られていますね。
(太湖石で造った庭。)
(太湖石で造った庭。船を模した建物。)
(太湖石で造った庭。船を模した建物。)
范レイは最初に西施を見出した人でその時、范レイは50代、西施は10代で。昆劇『浣紗記』ではこの二人は最初から魅かれ合い、結婚の約束を交わし、その時この紗という布を「信物」…愛の誓いの品としたといわれています。
范レイは夫差の軍に一旦敗れた時に、呉王の夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施)を密かに送り込みました。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になり、呉は滅ぼされてしまいます。
(紀元前6世紀に越の氾レイが中国4大美女の一人、西施と船遊びをしたとされる場所。西越はあまりの美しさのために王が政治をおろそかにして国を滅ぼしてしまったことで知られる。)
呉が滅んだ後の西施の消息には諸説あります。一説では呉王が亡くなる前に、西施を皮衣に包んで長江に投げ捨てた、また別の説では越王・勾践が越に戻ってきた西施を同じく長江に沈めたと言います。さらに越王夫人が西施の美貌に嫉妬し、自分の夫もまた呉王と同じようになるのではないかと邪推し、これを長江に沈めたとも言います。
(4大美女の一人、西施像)
また、夫差を滅ぼした後、西施が戻ってくると范レイは彼女を約束どおり妻として迎え、斉へ逃げたとも言われています。その場面は、二人の乗る舟が五湖(太湖)に浮かぶ情景とともに語られます。
(湖沿いの長い回廊へ向かう途中の公園にある東屋。)
范レイについては呉が滅んだ後、「?夷子」という名前に変え、大富豪となったようです。「?夷子」とは「?夷子」というのは西施を包んで捨てたとされる皮袋のことです。このことから、范レイはやはり西施が好きだった、彼女が忘れられなかったと言われています。自分が見出した美しい少女を貢物としてその人生を狂わせ、目的達成ののちには邪魔者として命を奪われてしまった…老境に入っていた范レイがこの少女を自責の念とともに忘れられなかったのかもしれません。
(太湖沿いの長い回廊へ向かう途中の公園にある屋敷。)
(太湖沿いの長回廊へ向かう途中の公園。12月の朝でさすがに水遊びする人はいませんでした。)
(太湖沿いの長回廊へ向かう公園にある船射撃ゲーム遊び場。)
そのようなロマンのある緑豊かな自然に囲まれた庭園で池には、夏前になると蓮が一面に咲き、アスレチック・観覧車・美術館があり、春秋閣には范レイに関する展示を見学できます。レイ湖にある小島には西施荘があり、遊覧船に乗り約20分で渡ることができます。庭園の遊歩道をのんびりと散歩するのもおすすめで、ゆったりとしたひと時を過ごせます。
(四季湖。四角形の池のそれぞれの辺に四季を表す4つの東屋があります。)
(太湖沿いの長回廊へ向かう途中の公園。)
(太湖沿いの長回廊へ向かう途中の公園から見た太湖。)
(太湖沿いの長回廊。蘇東坡や王陽明などの書が刻まれる。)
(太湖沿いの長回廊。モーターボート乗り場。20分4500円と高いです!)
(太湖沿いに浮かぶ東屋の中。レイ湖煙緑とはレイ園の奥深さを示し、緑に曇っているが奥深い味わいがあるという意味を示す。)
(竹の参道)