花と緑に囲まれた街、昆明旅行記(その5.断崖絶壁に開削された西山龍門石窟)

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花と緑に囲まれた街、昆明旅行記(その5.断崖絶壁に開削された西山龍門石窟)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。

 

 今週も花と緑に囲まれた街、昆明の旅行記(第5回目)です。今週は断崖絶壁に開削された西山龍門石窟です。

 

 西山龍門石窟は、雲南省最大規模の道教石窟群で、清の乾隆46年(1781)に造営され、咸豊3年(1853)までの約72年の年月をかけて、人力で断崖絶壁の岩をくり貫いて作った道教の寺院です。

 

 この西山龍門石窟龍門という名は日本でもお馴染みの登龍門(成功へ至る難しい関門を突破する事)と言うことわざを元に龍門と名付けられた場所です。この石窟群の一番奥にある龍門の石坊の下に出ている玉に触れると科挙に合格できるという伝説から出世できるという言い伝えがあり、現在も毎日出世を願って訪れる人で賑わっています。

 


(龍門。断崖絶壁の史跡です。1753〜1825年にかけて造られました。)

 

 この石窟群にある壁画および仏像は、すべて同じ一枚岩から掘って削り出して造られたものです。当たり前ですが、後から作ってはめ込んだものではないので引っ張っても取れません(笑 )。その構想と技術に裏付けされた芸術性に加え、長い年月にわたる忍耐力が織りなした芸術作品ですね。

 

 大同の懸空寺同様に驚くのがよくこんな高所を掘削して寺院を造ったなということです。断崖絶壁の上を採掘して道が造られています。採掘中の安全は大丈夫だったのでしょうか?何かあったら絶対助からない場所ですね。

 

 しっかり龍門でお祈りし、これからことを祈願しました。平安無事に暮らせたらと思います。

 


(西山龍門石窟の入口です。)

 


(入口に民族衣装売りがあります。)

 


(道教の寺院、三清閣入口。「昆明に到りて西山に到らざれば未だ昆明にあらず。西山に到りて龍門に登らざれば未だ西山にあらず」と言われています。)

 


(三清閣入口の獅子。玉=地球を踏んでいるのでオスですね。)

 


(西山龍門石窟の案内図。)

 


(西山龍門石窟の麓にある三清閣入口。)

 


道教の寺院の三清閣の階段。)

 


(龍門石窟までの参道に入ります。)

 


(金剛力士像があります。)

 


(龍の水壺。)

 


(龍の水壺の中にも龍の顔が!お賽銭が入ってます。)

 


(金剛力士像です。)

 

 


(三清閣裏にも仏像があります。)

 

 


(三清閣より見た下の眺め。)

 


(三清閣屋根。端が反ってる中華建築のデザインですね。)

 


(三清閣屋根。端が反ってる中華建築のデザインですね。道教のマークも見えます。)

 


(真武殿。)

 


(三清閣の蛇が亀に巻き付いた像。)

 

 

 

 

 


(趣のある石門を入ります。)

 

 

 

 

 


(旧石宝。旧石宝は「鳳凰岩」とも称され、明の時代(1522年)から15年かけて道士張錬が岩を削って作ったものです。石室は幅3.14m、高さ2.7m、奥行き2.27mで、上下二つの石室が造られ、壁には「覧海処」、「雲海」などの摩崖石刻があり、外側の上部に「鳳凰卸書」の浮き彫りが施され、中国伝説上の先聖王黄帝が洛水の石室に住んでいた時、鳳凰が天書を含んできたという物語をもとに彫られました。)

 

 

 

 

 


(「普陀勝景」の石坊。ここをくぐると螺旋道にいたります。)

 


(絶壁の細い通路の螺旋道。螺旋道は岩を抜けるトンネル状の道で全長約40mの曲がりくねった桟道で、体を傾けて二人すれ違うのがやっとという細道で、途中には絶壁の石窓があり、そこを通して美しい?池を眺めることができます。螺旋道と慈雲洞は清の時代の道士 呉来清により開削され、1781年から1796年まで掘削作業が行われました。)

 

 

 

 

 

 

 


(慈雲洞。螺旋道の突き当りは慈雲洞という石室があり、石室内には子宝の女神と言われる送子娘娘、青龍白虎両星神など道教の神々の像が彫られています。道教の極色彩を基調にしており、これら神像をはじめ、門聯、燭台、香炉、装飾物などは一枚の岩を掘って作られたものです。送子娘娘像の傍には「重修慈雲洞呉道士功行碑記」の石碑が立ち、道士の呉来清が桟道と石室を掘削した経緯が記載されています。)

 

 

 

 

 

 

 


(雲華洞。慈雲洞を出ると展望台があり絶壁に立つ龍門を見ることができます。慈雲洞から龍門までは雲華洞という岩壁をくり抜いた全長40mのトンネル状の桟道が続き、トンネル内に掘られた階段を上ると西山龍門石窟で最も有名な観光スポットの龍門に到着します。龍門を抜けると達天閣が彫られており、雲華洞、龍門、達天閣は昆明の名士の楊如蘭とその息子の楊際泰が呉来清没後に70の石匠を組織して、22年間という歳月を費やして造られました。)

 

 

 

 

 

 


(達天閣。入口には香炉が彫られ、閣の真ん中は学問の神・魁星が安置されています。魁星は右手に筆、左手に升を持ち、右足は鰲頭を踏み、左足を上げた姿で、表現力豊かな姿で立っています。また、魁星の左側には関聖帝君、右側には文昌帝君の像が立っています。壁には八仙人、天井には鶴が彫られ、派手な彩色を施されています。達天閣の外側の上部には南極老人の浮き彫りがあり、精緻な彫刻が施された芸術品として高く評価されます。西山龍門石窟は雲南を代表する道教石窟としてだけではなく、その芸術性の高さでも多くの人に知られています。)

 


(達天閣の外側の上部には南極老人の浮き彫りがあります。)

 


(龍門。中国の「登龍門」から来た語源で、石坊の下に出ている玉に触れる科挙に合格できるという伝説から現在でも出世できるという言い伝えがあり、毎日出世を願って訪れる人で賑わっています。)

 

 

 


(達天閣。閣の真ん中は知恵の神様の魁星、左は武神の関羽。右は文帝。)

 


(達天閣の真ん中は知恵の神様の魁星。ノリノリ?ですね。)

 


(龍門をくぐると半月形の展望台があり、その絶壁から見下ろす景色は自分が空を飛んでいるかのような開放感を感じることができます。展望台の下の池が見え、緑の街・昆明の市街地がかすんで見えます。)

 

 

 


(龍門をくぐると半月形の展望台。展望台の下の池が見え、緑の街・昆明の市街地がかすんで見えます。)

 


(断崖絶壁にあります。)

 

 

 


(中国の国歌を作った作曲家、聶 耳の墓。昆明の出身。日本留学中、藤沢で24歳で溺死したそうです。)

 

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