内モンゴル自治区の異国情緒豊かな玄関口、呼和浩特(フフホト)(その8. 内蒙古博物館 モンゴルの歴史)
皆様、こんにちは?? スマイル中国語教室のマーシーです。
今週も内モンゴル自治区の区都、呼和浩特(以下、日本語読みでフフホト) の旅行記。先週に引き続き、内蒙古博物館で今回は「内蒙古の歴史文物」です。
内蒙古博物館では内モンゴルの歴史を広く学べます。
モンゴルは2200年の歴史を誇る国でモンゴルの歴史は遊牧文明の到来とともに始まります。遊牧文明は短い期間で中央ユーラシアに広まり、中国の春秋戦国時代には北方の騎馬民族が登場し、次第にモンゴル高原は西方の月氏、中央の匈奴、東方の東湖の三大勢力に分割されるようになります。これらの遊牧騎馬民族を脅威に思った戦国時代の諸国はそれぞれ城壁を築いて対抗しましたが、秦の始皇帝は城壁を繋ぐことで万里の長城を建設し、高原の勢力を封じ込めました。しかし秦が滅亡した後、匈奴の冒頓単于のもとで史上初めてモンゴル高原が統一されると、その周辺国も次々と匈奴の支配下に入っていっていきました。
1206年、中国の北に築かれたモンゴル帝国の皇帝チンギス・ハンは、領土を広げていきます。その行く手を万里の長城がはばみますが、モンゴル軍は万里の長城も乗りこえ、中国に攻め込みました。チンギス・ハンの孫、フビライは新しい国「元」をつくります。
17世紀、満洲で清朝が成立すると、モンゴルは清朝に征服されますが、先に清朝に従った地域を「内蒙古」、後に従った領域を「外蒙古」と呼ばれました。これが内蒙古の始まりです。1911年に中国では辛亥革命が起こり、中華民国と同時にモンゴルも独立を宣言したが、まもなく初代中華民国総統の袁世凱の軍に攻め込まれ、漢・蒙の両軍は漠北の沙漠で激突を繰り返します。また日本でノモンハン事件と呼ばれる戦闘は、日本・満州国の連合軍と、ソ連・モンゴル人民共和国の連合軍が戦い、このうち満州軍の主力は、戦場一帯を地盤とするモンゴル族の部隊で構成されており、モンゴル民族同士が戦場で相まみえた不幸な歴史もありました。第二次世界大戦前後には共産主義の人民革命軍が結成され、盛んに独立運動が行われましたが、成功せず、今に至っています。
この内蒙古博物館に来るまでモンゴルの歴史をよく知らなかったのですが、この内蒙古博物館を通して日本やヨーロッパにも多大な影響を与えていたことを知りました。モンゴルの歴史・文化・大自然に触れる事ができる充実した博物館でした。
(昔から続く遊牧生活。)
(家畜の餌である草の豊富な場所を求めて移動します。)
(モンゴルは2200年の歴史を誇る国でモンゴルの歴史は遊牧文明の到来とともに始まります。遊牧文明は短い期間で中央ユーラシアに広まります。)
(大地の神に祈りを捧げる女性。)
(大地への祈りを捧げる際に使用していた装飾品。)
(羊肉を食べながらの宴会。)
(青銅のつるぎ。)
(モンゴル方面の遊牧民と中国方面の農耕民の間でそれぞれの産物を交易していた。しかし、モンゴル方面の民族が「もっと安く穀物を売れ!」という脅しをかけて武力衝突をすることがあり、それを防ぐために作られたのが、万里の長城。)
(匈奴の時代の装飾品。)
(中国からの貢物として得た青銅の鏡。)
(中国からの貢物。)
(中国からの貢物。)
(冒頓単于のもとで史上初めてモンゴル高原が統一されると、その周辺国も次々と匈奴の支配下に入っていった。冒頓単于は続いて南の新興国である漢帝国に侵攻し、高祖劉邦を撃退。西の月氏を河西地域から追い出し、冒頓単于は一代にしてモンゴル高原から西のジュンガル盆地・タリム盆地までをその支配下に置き、大帝国を築いた。漢の高祖を撃退して以降、匈奴は毎年漢に貢納品を要求するようになり、しばらくは中国より優位な立場にあった。)
(匈奴時代の遊牧生活。)
(冒頓単于は一代にしてモンゴル高原から西のジュンガル盆地・タリム盆地までをその支配下に置き、大帝国を築いた。漢の高祖を撃退して以降、匈奴は毎年漢に貢納品を要求するようになり、中国より優位な立場にあった。中国4大美女の王昭君も人質として匈奴に嫁入りした。)
(匈奴の乗馬の道具。)
(モンゴル帝国の皇帝チンギス・ハンとその妻、チンギス・ハンの孫とその妻の肖像画。)
(1206年、中国の北に築かれたモンゴル帝国の皇帝チンギス・ハンは、領土を広げていきます。その行く手を「万里の長城」がはばみますが、モンゴル軍は万里の長城も乗りこえ、中国にせめこみました。チンギス・ハンの孫、フビライは新しい国「元」をつくります。マルコ=ポーロと謁見するフビライ。)
(元の皇帝の移動式ゲル)
(元の時代の弓、刀。)
(17世紀、満洲で清朝が成立すると、モンゴルは清朝に征服されますが、先に清朝に従った地域を「内蒙古」、後に従った領域を「外蒙古」と呼んだ。これが内蒙古の始まりです。)
(清の時代の装飾品。チベット仏教の像など。)
(民族服。)
(1911年に中国では辛亥革命が起こり、中華民国と同時にモンゴルも独立を宣言したが、まもなく初代中華民国総統の袁世凱の軍に攻め込まれ、漢・蒙の両軍は漠北の沙漠で激突を繰り返します。)
(日本でノモンハン事件と呼ばれる戦闘は、日本・満州国の連合軍と、ソ連・モンゴル人民共和国の連合軍が戦い、このうち満州軍の主力は、戦場一帯を地盤とするモンゴル族の部隊で構成されており、モンゴル民族同士が戦場で相まみえた不幸な歴史もありました。)
(モンゴル軍の軍服。)
(博物館ではモンゴル舞踊が見られます。)
(モンゴル舞踊。)