楊先生の漢詩朗読(その27. テレサ・テン(ケ麗君)も歌った蘇軾の漢詩「水調歌頭」)

スマイル中国語教室

楊先生の漢詩朗読(その27. テレサ・テン(ケ麗君)も歌った蘇軾の漢詩「水調歌頭」)

皆様、こんにちは!スマイル中国語教室の講師、楊欣然です。

 

 今日は中秋の名月を歌ったものとしては最高の作品と名高い、蘇軾の漢詩「水調歌頭」を中国語で味わってみたいと思います。

 

 

 実はこれに現代風の曲をつけたものを、1983年にテレサ・テン(ケ麗君)が"但願人長久"として台湾で歌って大ヒットし、最近では王菲をはじめ中国語圏の多くの歌手がこれをカバーしています。

 

 

テレサテンの"但願人長久"はこちらから

 

 

水調歌頭 蘇軾

 

明月幾時有
把酒問青天
不知天上宮闕
今夕是何年
我欲乘風歸去
又恐瓊樓玉宇
高處不勝寒
起舞弄清影
何似在人間
轉朱閣
低綺戸
照無眠
不應有恨
何事長向別時圓
人有悲歡離合
月有陰晴圓缺
此事古難全
但願人長久
千里共嬋娟

 

(白文読み)
明月幾時よりか有る
酒を把って青天に問ふ
知らず天上の宮闕
今夕は是何れの年ぞ
我風に乘って歸り去らんと欲す
又恐る瓊樓の玉宇
高き處寒さに勝へざらんことを
起舞して清影を弄ぶ
何ぞ似たる人間に在るに
朱閣に轉じ 
綺戸に低(た)れ
無眠を照らす
應に恨み有るべからざるに
何事ぞ長へに別時に向って圓なる
人に悲歡離合有り
月に陰晴圓缺有り
此の事古より全くなり難し
但だ願はくは人長久に
千里 嬋娟を共にせんことを

 

(現代語訳)
明るいお月様はいつからそこにあるのですか?
酒盃を手にとり、月が煌々と照らす青い空に問いかけてみたよ。
月にあるという天上の宮殿は、もう何千何万年栄えているのかもわからない。
私は風に乗り、あの月へ帰りたいとも思う。けれどその冷え冷えとした玉石の宮殿や、あまりに高いところの寒さに、私はずっとは耐えられない。だからこうして地上で庶民に混じり、あの月の光が映し出す自分の影と踊っているほうがはるかに楽しいよ。
まるい月が、朱(あか)く塗られた官舎の楼閣の上を転がるように昇る。やがて夜も更け、月が低く降りてくると、飾り窗(まど)の隙間からまた月明かりがさし込んで、この仲秋の宵を、夜通し楽しむ人達を照らしている。
もちろん仲秋の満月を恨むわけではないけれど、でも君(蘇轍)とこうして長く別れているときに限って、皮肉にも月が圓(まる)いのだからね。
人には別れと再会の悲しみ、喜びがあり、月には満ち欠けの光と影があるものだ。
古来、こればかりはどうすることも出来ない道理だから。
まあ、再び会えるその日まで、あの永遠に浮かぶお月様には及ばなくとも、お互い長生きしたいものだね。
今は遠く千里を隔てているけれど、同じあの美しい月を見て楽しもうよ。

 

 

(解説)
 蘇軾は以前紹介させていただいたように北宋代の政治家、詩人、書家で杭州に赴任していた時代には西湖の蘇堤をつくり、東坡肉等のグルメを作ったことでも有名な人です。

 

 蘇軾にとって子由、すなわち弟の蘇轍は単なる肉親ではなく、政治の上でも文学の上でもかけがえの無い同志でありました。これより後の「烏台詩案」で蘇軾に死刑判決が下りそうになった際には、蘇轍は自らの官位を下げてでも兄の罪を贖おうとしたくらいです。その蘇轍と仲秋を祝えないことが物足りなく、欠ける事のない名月にも逆に皮肉を感じるじゃないか、ということなのです。

 

 

 仲秋の夜は天気が悪いことが多いのですが、幸いにして明月を見ることが出来たのだが、ここで蘇軾は弟の蘇轍がいない事を不満であるとし、今年も仲秋の夜に弟と一緒にいれないこと、その長いことがかえって思い起こされるのです。

 

 「月が丸い」というのは、家族団欒を意味するものです。しかし月が丸いのに、君が欠けているなんて、すなわちこの詞は仲秋の官舎でどんちゃん騒ぎで飲みながら、ふと遠く離れた弟の蘇轍を思ってつくられた漢詩なのです。

 

 

 この作品は中秋の名月を歌ったものとしては最高の作品とされています。蘇軾は歌謡の一種の「詞」として旋律に合わせて歌うために作りました。蘇軾の時代、「詞」が流行していて、蘇軾も多くの作品を書いています。

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