第2の故郷、深セン(その2.中国に来たきっかけ)
(深センの南山区の山に残るアヘン戦争で使用された清軍の大砲。子供が乗って遊んでます。)
こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
私は数年間深センに住んでいました。仕事は苦しかったけど、今となっていい思い出で第2の故郷といってもいい街です。今日は当時のことを少しお話します。一度に話しきれないので何回かに分けて不定期にお話しますね。
私が中国に興味を持つようになったキッカケは、会社から駐在の辞令を受けたことがキッカケでした。それまで中国はおろか、海外へはカナダに二週間旅行に行ったことがあるのみ。海外経験はまったくなしといってもいい状況で中国に関する知見も当然ありませんでした。
学生時代、第二言語で中国語を履修したものの、中国が好きだからとかの理由ではなく、単位が取りやすいからとの単純な理由からでした。当然中国語は話せるわけもなく、覚えているのは麻婆豆腐、青椒肉絲、我是日本人(私は日本人ですの意味)くらい。当初はカタコト英語でコミュニケーションするしかなかったです。
駐在するまでの中国に対するイメージといえば、共産主義や昔の文化大革命で怖いイメージ。人も笑わず、喋らず、男女恋愛もご法度、自由も全くないのかなと思ってました(人民服をまだ着てる??との誤解も)。更に深センは治安が悪いと言われていたので、行く前は不安でしょうがなかったです。
香港からフェリーで深センに到着。初日に街を歩くと、今まで抱いていた硬いイメージはなく、みんな綺麗な服で、男女もペアルックで手をつないで歩いてる(人民服は当然なし)し、いろんな店があって活気があり、ビックリしてしまいました。深夜に外へ出ても危ないことに巻き込まれたことは帰国する最後までありませんでした。
中国で仕事を始めたばかりの頃は新しい事業だったこともあり、トラブルが多く、夜も遅くまで仕事し、会社と家を往復する毎日。週末は時々会社に行ってはいましたが、基本的には休みで朝から近所の中国語教室に通い、終わると深センの中心、羅湖の繁華街や福田の吉之島(日本から進出したジャスコ)で買い物した後、そのまま近所の星巴克(スターバックス)で中国語の予習復習や残った仕事をこなす日々でした。
深センは40年ほど前まではただの漁村であり、香港が返還される際にケ小平によって急ピッチで作られた街。働いてみるとわかりますが、共産主義じゃなくて、むしろ日本より自由経済じゃないかと感じるくらい活気のある街でした。そのため、歴史的なものがあまりなく、アヘン戦争で使用した砲台と小さな砦の跡、宋朝最後の子供の皇帝が水深自殺した場所、南頭古城などはあるものの、こじんまりとしたものばかりで中国に来た実感が湧いてきませんでした。
(清軍の小さな砦跡。この辺りの湾は150年程前のアヘン戦争の舞台。砲台跡が少し乗っているところがあります。)
(南山にあるアヘン戦争でイギリス商人からアヘンを没収した清の役人、林則徐の像。中国の英雄です。)
(深センの赤湾の港のドッグ。なにやら大きなものが作られてました。)
中国に来て最初の1カ月は異国に来たワクワク感から楽しかったですが、徐々に仕事のトラブルや中国人の考えが理解できないことが増え、イライラする生活が半年程続いたある日。そんな様子見かねた?同僚からせっかく中国に来たのだから時間を見つけていろんなところに行ってみたら?と言われました。そうだな、そういえば中国に来たのに中国らしいところにまったく行ってないな。なら気分転換と中国語の勉強のため行ってみようかな、、、。これが中国各地を周遊するきっかけになりました。
今日はここまで。また気が向いたら、いつか続きを書きたいと思います。