「華僑の第一の故郷」と呼ばれる開平(その5.「広東省一美しい村」と呼ばれる馬降龍と抗日戦争時の爪跡が残る南楼)
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今週も実写版ドラゴンクエストとも言われる広東省の開平の旅行記です。最終回となる5回目の今週は「広東省一美しい村」と呼ばれる馬降龍と抗日戦争時の爪跡が残る南楼です。
(1)馬降?楼群
馬降龍は竹林に囲まれ、「広東省一美しい村」といわれています。人口500人余りのこの村落にも数多くの?楼が残り、今でも村人が暮らしています。遊歩道は村落の中を通っており、竹林の中に河東楼をはじめとする?楼の姿は、アジア的幽玄の世界に満ちています。
?楼は通常、3〜4階建てですが、これは水害に備える以外に、階ごとに第一夫人、第二夫人といった具合に妻を分けて住まわせるためのものでもありました。当時の中国は一夫多妻制が許されていて、かなり裕福な家には第四夫人までいることも珍しくなかったようです。
(天禄楼壁。)
(お金持ちが使用する豚小屋。)
(スープで使う乾燥野菜。)
(観光客向け鶏売り場。)
この村のあちこちで鵞鳥を飼っており、どんどんどんどん迫ってきて「グワァァアーー!!グワァァアーーー!!!」と鳴いてきました。世界遺産とはいえ、のどかな村落でした。
(2)南楼
1912年に司徒氏により建てられた7階建ての高さ19メートル、敷地面積39平方メートルの鉄筋コンクリートの建物で、各階には機関銃とサーチライトが設置されています。実は抗日戦争中、1944年6月24日、日本軍が来ると国民党の軍隊は撤退したらしいのですが、地元の有志7名の自衛団が9日の間ここで必死で日本軍を迎撃し、最後は捕えられ日本軍により惨殺されたようです。
(7人の中国兵像。)
(1944年、日本軍の攻撃に対して、7人の中国兵が楼に立て籠った。)
(楼の壁に日本軍の攻撃の痕が残る。)
(楼の1階。)
(楼の階段。)
(楼に立てこもった人が書いた決意文。)
(楼に立てこもった人が書いた決意文。)
(楼に立てこもった人が書いた決意文。)
(楼に立てこもった人が書いた決意文。)
(楼空からの見える川。向こう岸から日本軍が来たとされる。.)
(要約すると1944年6月24日、日本軍が三埠を侵略・占領し、開平県多くの人が苦しみのどん底に突き落とされ、日本軍が至るところで強姦、略奪、放火、殺戮が繰り返され、人々は極度に苦しんでいた。開平の人々は次々に立ち上がり、日本侵略軍に抵抗しはじめた。司徒四郷自衛団はこのような情勢から結成された農村の武装軍だった。司徒四郷自衛団は勇敢に、粘り強く日本軍と戦い、「開平南楼抗日7戦士の物語」を生み出した。1983年、開平県人民政府は南楼を指定保護文化財に認定し、1999年、開平市人民政府は300万元(約6000万円)を超える資金を投入し、現場となった場所にメモリアルパークを建設し、記念館や彫刻、アーチなどを増設した。等と書かれている。)
(楼の壁に日本軍の攻撃の痕が残る。)
(楼の下の地盤沈下した地面。)
今週で開平の旅行記は終了いたします。開平の旅行中はずっと曇りの天気でどんよりした気分をそのまま表したように何か時間が止まったような空間の場所でした。次週から山東省の曲阜の旅行記となります。よろしくお願いします。