第2の故郷、深セン(その3.思い出の以降の場所、海上世界)
(駐在した当初の海上世界の船の前。船の前の低いエリアには飲食店が多くありましたが、台風で水没して後に噴水広場となりました。)
こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今日は私が中国深センで駐在していた当時の話の続きで近所だった海上世界についてお話しします。
(春節中の海上世界。戻りたいです。)
海上世界とは、もともとフランスで建造された豪華客船のことで、その豪華客船を中心とした観光スポットです。1973年に中国が買い取り、最初は「明華」という名前で旅客船として活躍しましたが、1983年から深センの蛇口港近くに停泊し、船を中心とした観光スポットとして発展してきました。ですからこの場所で深センの発展を30年以上見守ってきた船なのです。そして船の赤いネオンの字はなんと深センの生みの親、ケ小平氏の直筆から作ったものです。
(停泊したばかりの頃の豪華客船、海上世界。)
(船の赤いネオンの字はなんと深センの生みの親、ケ小平氏の直筆です。)
異国情緒溢れ、中国の記念日には周辺で催し物が頻繁に開催されており、休みや仕事帰りにまったりしながら、コーヒー飲んだり、食事したり、中国語の勉強したりと気分転換していた思い出の場所です。
(休みや夜にまったりしていたスターバックス。中国語の勉強したりしてました。)
(春節中の海上世界。綺麗ですね。)
喫茶店、飲食店、マッサージ店などいろんなお店があるのですが、数年いると店員さんの顔や名前をだいぶ覚えました。
面白いことにこんな海上世界の小さいエリアでも中国社会の縮図のような世界が形成されていました。それは同業他社への転職です。例えば散髪屋で散髪してもらった女性店員さんが次の月には真向かいの別の店で働いていたり、また日本料理店でよく話相手になってくれていた店員さんが急にいなくなったと思ったら、隣の店にいたりで、こんなことは日常茶飯事。小さいエリアながら転職の多い中国世界の縮図が見事に形成されていました。
(毎月髪を切ってもらっていた女性店員さん。いつもバリカンで角刈り気味になるので、駐在中は角刈り気味になっていました。実はこの女性店員さんは真向かいの散髪屋さんから移籍してきたんです。)
(散髪屋さん。髪を切った後、そのままここの部屋で頭を洗って頭のマッサージしたり、耳線香などサービス満点。全て込みで当時70元でした。)
しかしそこで働く中国人みんなが口を揃えて言うのは海上世界が好きで離れたくないと。転職は多いのですが、海上世界には愛着を持っているんだなと感じていました。
私も深センを離れる時、海上世界には一抹の寂しさを感じました。何年か経ち、行ってみたことがあったのですが、転職の多い中国社会にもかかわらず、顔馴染みの人がまだまだ残って働いているのには驚きました。違う店で働いていたり、また同じ店に戻っていたり。みんな海上世界が好きなんですね。
(海上世界のお店。みんな思いであります)
まだまだ海上世界については思い出があります。また後日お話しします。
(蛇口の石碑。)