中国の各時代で活躍してきた人材を多く輩出してきた伝統ある湖南大学の前身「岳麓書院」
皆様、こんにちは!スマイル中国語教室のミュージシャンこと、アシスタントの李です。
今日は私の故郷の湖南省にある、中国の各時代で活躍してきた人材を多く輩出してきた伝統ある湖南大学の前身「岳麓書院」について紹介させていただきます。
(赫曦台。昔、芝居が演出された舞台です。朱熹は書院で講義をしている間、毎朝岳麓山の頂上で日の出を見ました。赤い太陽が地平線からまさに昇ろうとしている時、彼はとても興奮して拍手しながら、赫曦だ、赫曦だと声を上げて叫びました。赫は赤いの意、曦は太陽の意味です。そしてのちの人が朱熹を記念するためにこの台を作ったというわけです。)
(「大成殿」は、孔子を祀った部屋。中国においても、紀元前から清代にいたるまで、孔子は学問上絶対的な存在だった。)
「岳麓書院」は唐代に作られた学問を講義する場所です。中国には四つの大きな書院がありますが、この長沙にある岳麓書院もその内の1つなのです。
(中庭。)
(敷地の高低差を巧みに取り込みながら、かなり多くの施設群が建て込んでいる。)
(御書楼。書庫となるところ。ここは現代でいえば図書館です。蔵書の一番多い時、2万冊を超えたことがあります。)
岳麓書院は北宋時代の976年、潭州太守の朱洞によって創建されました。1903年に湖南高等学堂となり、その後、湖南高等師範学校、湖南高等工業専門学校等を経て、1926年より湖南大学となりました。昔の高等教育機関でしたが、現在も学問の場として脈々と受け継がれています。岳麓(がくろく)山の東麓に位置しており、現在の湖南大学の広大な敷地の奥にあります。
(湖南大学。千年あまりの時間を経ても、この書院は国内外で有名です。宋、元、明、清などの時代の変換を経て、清朝末期に(1903年)湖南高等学堂となり、1926年に湖南大学と改称されました。湖南大学の扁額は毛沢東によるもの。)
岳麓書院は教学(講義を受ける場所授業をする所)、蔵書(本が収蔵された所)、祭祀(祭祀が行われる所)、園林(庭園)、記念(書院を記念した建築物)という五つに分かれています。建築の他には有名な扁額がたくさん保存されています。
(敷地の高低差を巧みに取り込みながら、かなり多くの施設群が建て込んでいます。)
因みに湖南省は多くの優秀な人材を輩出して生きています。19世紀半ばの太平天国の乱では、同省出身の曽国藩が湘軍を率いて鎮圧に活躍しました。曽国藩だけでなく、清末の諸改革において譚嗣同や唐才常などの人材を輩出し、20世紀には中国共産党の中心となる毛沢東、劉少奇、胡耀邦などを輩出しています。
(孔子を祀った「大成殿」正面。)
(屋根。)
(南軒先生 張?)
(岳麓書院の総面積は約21000平方メートル。現存している建築は殆んど明・清時代のものです。主な建築は大門、二門、講堂、半学斎、教学斎、百泉斎、御書楼、湘水校経堂、文廟など。これらの建築はお互いに回廊や中庭で結ばれ、中国古代の雄大な建築の様子を現代に伝えています。)
(大門。)
(この書院のなかでも最高位にある孔子様の像。)
(講堂の上には実事求是、学達性天と道南正脈など三つの額があります。「実事求是」とは物事の実際の状況に即して行うという意味です。毛沢東が青年時代、書院の半学斎に住んでいたので、この思想は彼に大きな影響を与えました。後にこの思想を発展させ、毛沢東思想の精髄となりました。 )
中国の各時代で活躍してきた人材を多く輩出してきた伝統ある湖南大学の前身です。ぜひ来てみてください。