北方民族との戦いが繰り広げられた仏教遺産の町、大同(その6.復活した大同古城)
(修復された大同古城の城壁。10年前からの修復作業によって復活した新しいものですが、かつての古城の雰囲気を感じさせます。)
こんにちは!スマイル中国語教室のマーシーです。
今週も先週に引き続き、大同の特集。今回は修復された大同古城についてです。
中国のかつての都市の殆どが街全周を城壁で四角く囲って街全体を守る形態となっていたため、現在でも都市のことを“城市”と呼びます。日本の城壁は天守閣を中心としたお城だけを守っていますが、中国の街は街ごと城壁で守られていたので、城壁の考え方が大きく異なります。
大同古城は398年に建てられ、千年以上の歴史を有する城市でした。かつて建設された156本もの伝統的な街路や、四合院を代表とする住居1519戸がそのまま残っていました。また大同も例外ではなく、城壁によって昔は街全体が囲われていました。しかし北魏時代から唐・遼・金時代、そして明・清時代にわたって造られ、街全体を囲っていた城壁が戦火、特に日中戦争で日本の関東軍が大同を占領した際にそのほとんどが破壊され、城壁、外壁、および櫓がなくなり、内部の土壁の部分しか残っていませんでした。
(城壁の夜景。櫓がライトアップされています。)
(櫓がライトアップされています。)
(大同古城の入口。)
(大同古城の城壁。)
(大同古城の城壁を登ってみます。)
(なかなか壮観な眺めです。)
(敵が左からにある第1の門を突破しても2つ目の門が待ち構えています。中国の城壁ではよく見られる構造です。)
(城壁上から見た華厳寺。)
(城壁の外は水堀と木です。)
(城壁の櫓です。城壁上を自転車で回って観光できます。)
2008年、大同市は華厳寺・善化寺・代王府など遼・金時代以降の古代建築群の大幅な修復および、四合院と北魏時代以来の街をベースに、その内部にある現代建築すべてを取り除き、古城の再建をすることを決めました。「大同の古城全体を保護し、西側を伝統的な市街、東側を現代的な市街にする」、つまり「一軸双城」という建設構想によって、2008年から大規模な修復が実施され、城壁がかつて明清時代の姿に戻り、巨大な大同古城が蘇りました。
城壁がなくなってしまった悲しい事実はありますが、かつての都にもなったことがある歴史都市が蘇るのは感慨深いものがあります。
(老街に行ってみます。)
(老街。昔の建物がそのまま残っています。)
(鼓楼。ロータリーになっています。)
(老街。道路が舗装ではなく、昔からの石畳です。 )
老街。こちらも道路が舗装ではなく、昔からの石畳です。
(大同の新しい街にある大同共産党本部。)
(大同市の新街で中国共産党軍を見かけました。)
(大同市の新街。)
大同市の新街のパイナップル売り。
美味しそうだったので1つ買いました。2元(日本円で約40円くらいでした)
(ご参考)大同古城復活に当たり、景観をよくするために新しいビルが爆破して取り壊されました。中新網より。
(ご参考)新しいビルが爆破されたところ。戦争ではありません。中新網より。
(ご参考)を守るための爆破。戦争ではありません。中新網より。
(ご参考)新しい城壁のすぐ横で爆破作業しています。