楊先生の漢詩朗読(その3 李 白の「早発白帝城」)
(現在の白帝城。重慶からの山峡の川下りで必ず通る歴史スポットになっています。)
こんにちは!スマイル中国語教室の楊 欣然です。
今日は日本人にもお馴染みの中国の詩人、李 白が詠んだ漢詩「早発白帝城」を中国語で味わってみたいと思います。
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
(白帝城前の李白の像。白帝城前で罪を許され、ここの急流に乗って帰る李白にはこの風景はどのように映ったのでしょうか。)
(解説)
朝辞白帝彩雲間
(漢文読み)朝に辞す白帝彩雲の間
(日本語訳)朝焼けの空に五色の雲が美しくたなびく中、白帝城を出発した。
千里江陵一日還
(漢文読み)千里の江陵一日にして還る
(日本語訳)千里先の江陵まで一日で戻ってきた。
両岸猿声啼不住
(漢文読み)両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
(日本語訳)両岸から聞こえる寂しげな猿の声がなりやまぬうちに
軽舟已過万重山
(漢文読み)軽舟已に過ぐ万重の山
(日本語訳)私の小さな舟はもう幾万にも重なった山々を通り過ぎてしまった。
この詩が詠まれた背景には諸説がありますが、李白が反乱罪に問われ、死刑になるところを周囲の嘆願で流罪に減刑され、 白帝城の近くまで来た時、大赦があって無罪となり、 喜んで急ぎ帰る時の気持ちを読んだというのが最も有力な説とされています。彩雲間(美しい雲がたなびく中で)に罪を許され、小さな舟で急流に乗り、江陵(今の荊州)までたったの一日で急ぎ帰っている李白の喜びの様子が現れているようです。
また白帝城前の山峡下りで有名な瞿塘峡は中国の10元札にも使われている場所です。李白の像があり、罪を許され、ここの急流に乗って帰る李白にはこの風景はどのように映ったのでしょうか。
因みに白帝城は三国志で有名な蜀漢の劉備玄徳が病死した場所としても有名です。呉の陸遜に追い詰められた劉備軍はこの白帝城に篭り、劉備は病死しました。
(白帝城内には当時の様子を再現したモデルがあります。)
これからも漢詩を中国語で味わっていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
(白帝城の中にある記念碑や漢文。.)